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zoom RSS 史上初の「蛮カラ」は誰なの?

<<   作成日時 : 2007/03/26 07:11   >>

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問題:昔の旧制高校の生徒には、いわゆる蛮カラな者が多かったと聞きます。蛮カラとは、あえて粗野な服装をしたり、言動をすることですね。
●では、明治時代、日本で蛮カラという言葉の第一号で呼ばれた人物は、どんな立場の人だったでしょうか?
[い]芸人
[ろ]学校の先生
[は]代議士
[に]医師
[ほ]兵士
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[は]代議士
説明:「蛮カラ」は明治の末に生まれた言葉らしいですね。蔵原惟郭(これひろ)という人物がその第1号と言われています。
●蔵原惟郭氏はアメリカで教育を受けたのに、「近世式でない様態」だったそうです。「東京の社交界では、蛮カラの形容詞をはじめて与えて、ハイカラと対照せしめた」という記述が、明治41年(1908)6月号の「太陽」という雑誌に掲載されているそうです。
●アメリカ留学でも「アメリカかぶれ」にならず、蛮カラで通したとは、なかなか好ましい人物です。この人と真逆なのが森有礼(もりありのり)という人物です。薩摩の出身で、英国と米国に留学して帰ってくると、ひどいカブレ症状が出たようです。伊藤博文をして「日本産西洋人」と言わしめたほど、言動が狂っていたらしい。日本語を廃し、英語で生きていこうなんて主張したそうです。それでいて文部大臣に就任したらしい。伊勢神宮に土足であがり、ステッキで御簾をあげて中を覗き見たという噂もあります。周囲の恨みを買い、明治22(1889)年2月12日に国粋主義者西野文太郎によって暗殺されちゃいます*2。
●閑話休題。蔵原惟郭氏は、文久元(1861)年に生まれ昭和24(1949)年に亡くなっています。明治41(1908)年には47歳だったはずです。分別盛りなのに蛮カラと呼ばれたのは、なかなか迫力があります。ちなみにこの年に衆議院議員に当選し、代議士になっています。大正4(1915)年までつとめました。
●政治家としてだけではなく、教育者としても活躍しました。図書館の普及にも力を尽くしたそうです。カミサンは北里柴三郎の妹とのこと。江戸時代に生まれたのに、団塊の世代の最後の人たちが生まれた年まで生きています。長生きだったのは、親戚に世界最高の医学者がいたからかな。
◆参考*1:書籍「消えた日本語辞典」奥山益朗著、東京堂出版
◇*2HP「初代の文部大臣はあまり人格者ではなかった?」
http://blog.q-q.jp/200609/article_66.html
◇*3HP「http://www.bankara.net/ouen/form/style/style.html」(蛮カラについて書かれています。口絵の参考にもさせて頂きました)

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