日本のキリシタン人口は最多の時期で何万人まで増加したの?

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問題:●天文18年(1549)にフランシスコ・ザビエルが来日し、日本へのキリスト教宣教活動が始まります。でも最初はなかなか増加しなかったようです。あるときから増え始め、江戸時代の島原の乱以降には、急速に少なくなってしまいます。
●では、キリシタン人口の推移についてのクイズです。次のうち正しい記述はどれでしょうか?
[い]キリシタン人口が増え始めるきっかけは、アレシャンドロ・バァリニャーノという宣教師の来日である
[ろ]慶長15年(1610)のキリシタン人口は60万人まで増えた
[は]元和(げんな)の大殉教では550人が処刑された
[に]慶長19年(1614)~寛永16年(1639)のキリシタンの処刑者数は5000人を越える
[ほ]訴人報奨制という密告者の奨励で隠れキリシタンも摘発した
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[い]と[ろ]、[ほ]が正しい
説明:●[い]キリシタン人口が増え始めるきっかけは、アレシャンドロ・バァリニャーノという宣教師の来日である(○)
バァリニャーノという宣教師は、布教の障害となるふたつの問題を解決しようとしたそうです。ひとつは白人優位の考え方。もうひとつは言語の壁です。前者は心構えの問題かもしれません。宣教者の意識改革が必要なのかな。後者は「日葡辞書」(寛永7年(1630)成立)という日本語とポルトガル語の辞書を作り、日本語を学びやすい環境を整えたそうです。その他、日本人宣教師を養成する学校を作ったり、4人の少年をローマ法王に謁見させるために連れ帰ったりしました。
●[ろ]慶長15年(1610)のキリシタン人口は60万人まで増えた(○)
バァリニャーノ一人の手柄ではないでしょうが、キリシタン人口はどんどん増え、慶長15年(1610)には60万人ぐらいになったらしい。当時の人口を2000万人と仮定すると、人口の3%はキリシタンですね。現在の日本では、キリスト教徒は人口の1%をなかなか超えないそうです*2。
●[は]元和(げんな)の大殉教では550人が処刑された(×)
正しくは「55人が処刑された」だそうです。江戸初期から徐々に禁教令が出されます。元和8年(1622)の元和の大殉教では55人の宣教師や信者が火刑や斬首に処されたそうです。
●[に]慶長19年(1614)~寛永16年(1639)のキリシタンの処刑者数は5000人を越える(×)
正しくは「2000人を越える」です。「キリシタン禁制史」という本には、一般人1910人、宣教師134人の合計2044人が処刑されたと書かれているとのこと。もちろん、この中には寛永14年(1637)の島原の乱による死者は含まれていません。記録により差異はあるようですが、天草四郎とともに立てこもった原城では3万5000人ほどの戦死者が出ているという説があります。
●[ほ]訴人報奨制という密告者の奨励で隠れキリシタンも摘発した(○)
「訴人報奨制(そにんほうしょうせい)」では、宣教師1人が銀500枚。信者1人が銀100枚のご褒美がもらえたそうです。延宝2年(1674)年では銀500枚で米385石が買えたらしい。メチャクチャ大ざっぱな勘定ですが、米一石は金一両。約10万円と見れば、宣教師一人を密告すると3850万円、一般信者一人だと770万円の勘定になります。
◆参考*1:書籍「データが語る日本の歴史」初版80~83頁、歴史教育者協議会編、ほるぷ出版
◇*2新聞「[宗教はいま]日本のキリスト教徒、1%超えぬ理由 2氏に聞く」読売新聞060114東京夕刊04頁
◇HP「フランシスコ・ザビエルのぼやき」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://blbog.blog45.fc2.com/

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