驚異的視聴率で終了した「華麗なる一族」。猟銃自殺で思い出すのはあの人?

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問題:「華麗なる一族:最終回視聴率30.4%(関東地区)」(MSN Mainichi Interactive 070319)
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/tv/news/20070319k0000e040052000c.html
●TBSのドラマ「華麗なる一族」の最終回放送分の視聴率が高かったようです。ドラマで30%(関東地区)を越えるのは珍しい。物語の舞台であり、原作者の地元である関西地区では39.3%の平均視聴率を記録したとのこと。
●実は全然観ていなかったのですが、家人が観ているのを横目で眺めていたら、最後に主人公は猟銃で自殺したようです。これで思い出してしまうのは、あの俳優さんです。慌ててWikipediaで調べてみたら、間違いないようです。
●では年配の方にはやさしく、若い方にはむずかしい芸能界雑学クイズです。猟銃自殺したことでも知られる俳優さんは次のうち誰でしょうか?
[い]沖雅也
[ろ]古尾谷雅人
[は]又野誠治
[に]レスリー・チャン
[ほ]田宮二郎
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[ほ]田宮二郎
説明:●1960年代から70年代にかけて、映画やテレビで大活躍した俳優さんです。テレビでは、クイズ・タイムショックの初代司会者です。映画では、勝新太郎と組んだ「悪名」シリーズなど、当たり役が多かったですね。「悪名」はホントに面白かった。ディープな関西の味なんでしょうか。今東光の原作も良かったそうですが、映画も楽しめました。あの勝新太郎と張り合って負けない俳優さんです。存在感がありましたね。お若い方には、息子さんたちのほうが知られているかもしれません。柴田光太郎というテレビレポーターは田宮二郎の長男だそうです。次男は俳優の田宮五郎とのこと。
●ちょっと前、唐沢寿明版「白い巨塔」をやっていましたね。30年ほど前には田宮二郎版「白い巨塔」がやはり人気を集めていました。当時、田宮二郎は躁鬱病と診断され、かなり荒れた私生活を送っていたそうです。その中で昭和53(1978)年3月から撮影が開始され、紆余曲折を経ながら撮影は11月15日になんとか終了します。放送もあと2回となっていた12月28日昼過ぎ、田宮二郎は元麻布の自宅で猟銃自殺を遂げたそうです。享年43。ニュースを聞いた山崎豊子氏は、すぐに、「『華麗なる一族』を真似たに違いない」と語ったそうです。
●ちなみに、田宮二郎は映画版の「華麗なる一族」にも出演していたとのこと。山崎豊子氏との因縁は深いらしい。彼が初めて注目された映画も昭和36(1961)年の「女の勲章」という作品で、山崎豊子氏の原作だそうです。
●「白い巨塔」の残された2回の放送の視聴率は高かったようですね。最終話は31.4%だったらしい。Wikipediaには、「田宮の死を悼んだプロデューサーは、この視聴率を成功ととらえるよりも、かえって視聴者に対し話題性に群がる軽薄さを感じて、怒りを露わにしたという」と書かれていました。この記述がホントなら、このプロデューサーは、自分だけイイコになろうとする変な奴ですね。軽薄なる視聴者の1人としては、そう思います。
◆参考:HP「田宮二郎 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%AE%AE%E4%BA%8C%E9%83%8E
◇HP「田宮二郎とは - はてなダイアリー」(口絵の参考にさせて頂きました)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C5%C4%B5%DC%C6%F3%CF%BA?kid=15148

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この記事へのコメント

sadakun_d
2007年03月21日 12:26
田宮二郎「白い巨塔」(映画・テレビ版)
テレビ版を見た。出演者が大半が物故していなあ。

田宮二郎の邸宅は南麻布で幽霊が出ると噂があったとか。自殺の理由も様々。借金苦からハゲ苦まで。

ニヒルなクイズ司会者田宮二郎。続くのはアタックパネル25のあの方なのか。あの方も医師役やっていたなあ
sadakun_d様<素町人
2007年03月21日 13:15
コメントと情報をありがとうございます。
 
 よく「芸能人は二度死ぬ」という言葉を聞きます。人気を失った時に最初の死があり、2番目に生き物としての死があるという意味だそうです。

 田宮二郎やジェームス・ディーン、赤城圭一郎のように、大活躍している最中に亡くなると、人々の印象に強く残りますね。
(^^;)

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