パイレーツ・オブ・瀬戸内海の根拠地はどこだった?

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問題:●日本には昔から海賊が多くいました。13世紀~16世紀に東アジアで活躍した倭寇はもちろんですが、14世紀を最盛期とした村上水軍とか、10世紀の藤原純友(すみとも)なども、瀬戸内海で暴れていました。
●では、藤原純友の率いた海賊についての問題です。彼らが根拠地としたのは、次のどの島でしょうか?
□[い]釜島(岡山県、口絵の赤い★)
□[ろ]因島(広島県、黒い★)
□[は]厳島(広島県、黄の★)
□[に]日振島(愛媛県、青い★)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[に]日振島(愛媛県、青い★)
説明:●日振島(ひぶりじま)は愛媛県と大分県とのあいだの宇和海に浮ぶ島です。参考にした資料によれば、500人ほどが住む小さな村だそうです。行政区画としては宇和島市である由。
●藤原純友は、昌泰(しょうたい)2(899)年ごろに生まれ、天慶(てんぎょう)4(941)年に亡くなりました。平安時代の中級公家だそうです。
●中央での出世は望めないと見切りをつけたのでしょうか。地方官となったそうです。最初は瀬戸内海を縄張りとする海賊どもを鎮圧する立場だったそうです。承平(しょうへい)6(936)年ごろには海賊のボスになっていたらしい。昔はこういった話がよくあったようですね。現代にもあるのかな。
●ちなみに当時の海賊が狙ったのは、地方から都に輸送される税としての米や布地、特産物などだそうです。この時代では、まだ産業がさほど発達していないので、民間の荷物はあまり多くないとのこと。
●天慶(てんぎょう)2(939)年に関東で平将門が挙兵すると、呼応するように朝廷に対して挙兵します。現在の大阪あたりまで攻め込んだそうです。
●将門は挙兵後2ヶ月で流れ矢に当たり、あっけなく戦死してしまいます。でも、藤原純友は2年ほど各地を転戦して粘り、太宰府の戦いで天慶3(940)年に逮捕され、獄死したそうです。将門と純友の叛乱は、承平天慶の乱と呼ばれています。
●日振島へは宇和島港から高速船で57分だそうです。大望を抱いた面白い公家の史跡のある場です。ちょっと行ってみたいですね。なにより魚が旨そうです。
◆参考:HP「日振島 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%8C%AF%E5%B3%B6

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