日本史の長寿比べです。140歳まで生きたと言われる人物はだれ?

画像

問題:●日本には泉重千代さんという当時世界一長寿だったおじいさんがいました。この方は晩酌をされたそうで、酒飲みの自己弁護にもよく使われましたね。昭和61(1986)年に120歳で亡くなっています。
●仁徳天皇のころのお役人竹内宿彌(たけのうちのすくね)という人物は、5代の天皇に仕え、300歳まで生きたと言われます。琵琶湖のほとりにある長命寺山という山に登り、「寿命長遠所願成就」と柳の巨木に彫ったら、ホントに300歳まで生きたというのですが。これだけ大きな数字になると、にわかには信じられません。初代~5代目ぐらいまでいたのを一人の人物として見ているのではないかとかなど、否定的な説が多くあるようです。5人分としても当時としては長寿なんですけどね。
●では、記録のかなり確かな人物の寿命比べです。次の100歳越えの人たちを生存期間の長い順番に並べて下さい。
□[い]奥村土牛(おくむらどぎゅう、画家)
□[ろ]天海(てんかい、僧侶)
□[は]物集高量(もずめたかかず、国文学者)
□[に]北村西望(きたむらせいぼう、彫刻家)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:[ろ]>[は]>[に]>[い]
説明:いちばん若くして亡くなったのは日本画家の奥村土牛です。平成2(1990)年に101歳で亡くなりました。小林古径の指導を受け、西洋近代絵画の技法をも取り入れた独自の画風で知られるそうです。100歳過ぎてもまだ描いていたとのこと。
●その次に若くして亡くなったのは北村西望だそうです。昭和62(1987)年に102歳で亡くなりました。東京美術学校に在学中から文展に入選したとのこと。長崎にある「平和祈念像」を作った人ですね。
●その次に若くして亡くなったのは物集高量だそうです。この方は昭和60(1985)年に106歳で亡くなりました。著名な国文学者だそうです。
●いちばん長く生きたのは天海僧正ですね。寛永20(1643)年に108歳で亡くなったと言われます。天台宗のお坊さんですね。徳川家康に可愛がられました。
●天海は実は明智光秀ではないかという説があるそうです。落ち武者狩りにあって亡くなったと言われる光秀ですが、実は家康が逃がして味方に取り込んだというわけですね。
●このあたりまでは、記録も確かかもしれません。さらに長寿の方もいます。尾張浜主(おわりのはまぬし)は奈良末期から平安時代にかけての楽人(がくにん)です。雅楽の日本化につとめたと言われます。114歳まで生きたらしい。
●天台宗の僧侶源算(げんさん)上人は、康和(こうわ)元(1099)年に117歳で亡くなったとのこと。平安時代の雅楽寮の唐舞師(とうぶし?、唐様の舞踊を踊る人?)、春海貞吉(はるみのさだよし)は寛平(かんぴょう)9(897)年に119歳で亡くなっています。彼は枸杞(くこ)を服用して長寿を保ったとのこと。
●沙門行表(しゃもんぎょうひょう)という人物は最澄を出家得度(とくど)させたことで知られる僧侶とのこと。140歳まで生きたと言われるのはこの人です。延暦16(797)年に亡くなってます。
●このあたりまでくると、信じていいのかどうかわからなくなりますね。この上に位置するのが152歳のオールド・パーと300歳の竹内宿彌。あとは完全な伝説の世界に入るようです。
◆参考:書籍「年齢の辞典」初版226~229頁、阿部猛編、東京堂出版
◇HP「ROOM 1  琵琶湖の風物詩」
http://homepage1.nifty.com/~sakuranamiki/room1l.htm

ぬけられます→歴史雑学クイズ一覧

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック