ローマ時代のロンドンで頭部のない人骨。ところで日本ではいつまで首狩りをしていた?

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問題:「ロンドン市中でローマ時代の棺発掘、中は頭部がない人骨」(CNN.co.jp 061205)
http://www.cnn.co.jp/science/CNN200612050031.html
●CNN.co.jpが伝えるところによれば、ロンドン市中の地下3メートルから、紀元410年ごろのものと思われる石棺が見つかったそうです。中には頭部のない人骨がおさまっていたとのこと。棺は石灰岩でできており、遺体は40代半ば、身長が推定168cmほどだったそうです。
●紀元410年と言えば、欧州では東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂したばかりのころですね。日本で言えば反正天皇(はんぜいてんのう)の治世らしい。仁徳天皇の2代後です。いわゆる古墳時代なのでしょうか。
●なぜ頭部がなかったのかについては、考古学者らは、「石棺を見つけたビクトリア王朝時代の下水工事作業人が頭の部分を持ち去った」という推測をしているとのこと。なにか不自然ですね。古い時代の髑髏(どくろ)には値打ちがあるのでしょうか。
●日本人は名誉ある首狩り族の末裔です。我等が先祖、とくに武士たちは負けたら首をとられると覚悟してきました。では、記録に残る首狩りが見られるのはいつごろまででしょうか?
□元禄時代(1700年前後)まで
□寛政時代(1800年前後)まで
□幕末まで・明治初年まで
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:幕末・明治初年まで
説明:●明治初期の処刑でも明治14(1881)年までは江戸時代の処刑人山田浅右衛門が使われていたと言われます。明治初年にも首狩りはあったでしょう。明治7年(1874年)の佐賀の乱で処刑された江藤新平(しんぺい)の首だけの写真を掲載しているHPもあるようです。グーグルなどの画像検索では引っかかります。
●我々がよく知る首狩りは、たとえば赤穂浪士が吉良上野介を殺害した後、頭部を切断し、本所松坂町から泉岳寺まで掲げていった出来事ですね。元禄時代ではいちばん有名な首狩りでしょう。
●幕末には江戸、京都、大坂などでやたらと暗殺事件が起こりました。暗殺の被害者の首は、京都では三条の橋などにさらされ、暗殺者の政治的アピールともなったようです。
●そんな暗殺人として腕前が良かったと言われる土佐の岡田以蔵(おかだいぞう)は、自藩の重役吉田東洋(とうよう)暗殺事件の責任を問われ、地元土佐で打ち首、晒し首(さらしくび)にされています。慶応元年閏5月11日(1865年6月3日)のことだそうです。口絵の人物です。
●はなはだ勝手な憶測ですが、イギリス人には妙な見栄があるのかもしれません。首狩りを野蛮なことだと考えているのかな。フランス人は昭和52年(1977年)までギロチンを使っていたので、そんな見栄を持っていないようです。我等日本人も、ついこの間まで首狩りをしていたせいか、余分な見栄はありません。
●野蛮か否かで言えば、無辜の市民を殺す無差別爆撃や原爆などのほうがよっぽど野蛮です。武士の喧嘩はあくまで武士どうしの出来事です。巻き添えで町人が殺されるなんてことはかなり少なかったようですしね。

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