青い目の落語家「快楽亭ブラック」の昔の仕事はなに?

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問題:●明治時代に活躍した芸人に「快楽亭ブラック」がいます。この人はもともとどんな職業の人でしようか?
□精神科医師
□英語学校教師
□明治政府に雇用された鉄道技師
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)


























正解:英語学校教師
説明:●「快楽亭ブラック」は、本名をヘンリー・ジェイムズ・ブラックというらしい。安政5年(1858)にイギリス領オーストラリアのアデレードで生まれました。6歳のときに両親に連れられて来日しました。父親は、明治初期、日本で高名なジャーナリストだったらしい。
●英語塾の講師をしながら寄席芸人になりました。初めは講談を語ったそうです。でも、ブラック家の人々は相当に反対したらしいですね。
●明治24年(1891)に三遊派に入り、快楽亭ブラックを名乗り、26年(1893)に日本女性と結婚し、帰化もしたそうです。
●べらんめぇ調の江戸っ子言葉をあやつる青い目の外人として、もてはやされたそうです。あの明治の大名人、三遊亭円朝と人気を二分したという説もあります。おそらく外人タレントとしては、最初の人ではないかと思われます。
●明治36年(1903)~37年(1904)に、落語や浪曲をレコードに吹き込んでいます。これが日本最初のレコードだそうです。
●明治・大正の芸人の音声を集めたCDに、快楽亭ブラックの声が入っています。「蕎麦屋の笑」という題名でした。素町人も聞いたことがありますが、どんな声だったかは忘れてしまいました。流暢ではありますが、少しアデレード訛りがありました。
●なお、現在、立川流に2代目快楽亭ブラックがいます。初代とは、とくに縁のある方ではないようです。
◆参考:CD「明治大正夢の名人寄席」コロンビア
◇HP「平成11年12月15日号(中央区区内散歩講談師快楽亭ブラック)」http://www.city.chuo.tokyo.jp/koho/old/111215/san1215.html
◇HP「はてなダイアリー - 初代快楽亭ブラックとは」http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BD%E9%C2%E5%B2%F7%B3%DA%C4%E2%A5%D6%A5%E9%A5%C3%A5%AF

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