木曽義仲は乱暴者だったけど、死んだ後は人気者?

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問題:●一昨年の大河ドラマ、タッキー君の「義経」のおかげで、認知度が上がった歴史上のタレントの1人に、「木曾義仲」という人物がいますね。
●彼の墓はどこにあるでしょうか?
□長野県長野市篠ノ井横田
□滋賀県大津市
□長野県木曾福島町
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)




























正解:全部
説明:●人気者なんですね。全国、といっても中部・関西地方に集中しているのですが、何箇所もの墓があります。
●長野県長野市篠ノ井横田という場所には、義仲の子孫と伝わる家の墓地に義仲の墓があるそうです。
●滋賀県大津市には、その名も義仲寺というお寺さんがあります。義仲と、なぜか芭蕉の墓があるそうです。
●長野県木曾福島町には、興禅寺というお寺さんがあり、義仲が自ら植樹したといわれる桜や彼の墓があるそうです。
●この他に京都の東山にも墓があるそうです。墓地が高くて買えなくて、「はかないなぁ」なんて嘆いている都会人からみれば、うらやましいような墓大尽ですね。
◆参考:HP「木曽義仲史跡・伝説一覧表」
http://www.rr.iij4u.or.jp/~komao/yoshden.html

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2008年03月20日 10:54
木曽義仲軍乱暴狼藉事件の真相

いわゆる源平合戦の頃、木曽義仲軍のみが京都で乱暴狼藉を働いたというのが平家物語その他の書物による通説になっていますが、これは平家物語やその解説者の捏造(つくりばなし)です。「勝てば官軍、負ければ賊軍」の言葉通り、勝者に都合の悪いことは歴史物語、歴史書に記述出来ない。敗者については悪事を強調し捏造しても記述される。
1.平家物語や「玉葉」にも平家軍の乱暴狼藉(略奪)の記述がある。
2.平家物語延慶本には鎌倉軍の乱暴狼藉(略奪)の記述がある。
3.「吉記」には義仲軍入京前に僧兵や京都市民の放火略奪の記述がある。
4.「愚管抄」には義仲軍入京前に平家の屋敷への火事場泥棒や京都市民の略奪の記述がある。
 義仲軍入京後には放火略奪などの記述は無い。
5.「吾妻鏡」には鎌倉軍の守護・地頭の乱暴狼藉の記述が多数ある。

つまり通説とは逆に義仲軍以外は全て乱暴狼藉を働いていた。



参照
詳細は「朝日将軍木曽義仲の洛日」
http://homepage2.nifty.com/yosinaka/

義仲弁護人様<素町人
2008年03月21日 17:02
コメントをありがとうございます。

 義仲氏の弁護を楽しく拝読しました。被告が乱暴狼藉を働いた証拠は見当たらないわけですね。勉強になりました。
 言われてみればたしかに、義仲被告は平家・源氏双方から悪役にされやすい立場です。だからこそ、義仲に同情する者が多い。だからこそ、弔う者が多い。だからこそ、墓が多い…のかもしれませんね。
(^^;)

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