「信じなくてもいい」…史上もっとも斬新な宗教を提案したのは誰なの?

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問題:●念仏踊(ねんぶつおどり)という宗教儀式(?)があります。踊り念仏とも呼ばれます。カネや太鼓を打ち鳴らし、念仏や和讃(わさん)を節をつけて歌いながら踊るんだそうです。和讃とは、仏の徳を賛美する歌らしい。西洋でいう賛美歌なのかな。
●では、鎌倉時代に念仏踊を広めたのは、誰でしょうか?
□ 一遍(いっぺん)
□ 法然(ほうねん)
□ 道元(どうげん)
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)




























正解:一遍
説明:●一遍上人は、時宗(じしゅう)という仏教の一派を始めた人だそうです。延応元年(1239)~正応2年(1289)ですから、鎌倉時代の中期に生きた人ですね。
●一遍の教えは、とても庶民になじみやすいものでした。「信じても信じなくても、男女や身分に関係なく、念仏を唱えれば、誰でも極楽に行けます」。よくよく考えると、もの凄いことを言っていますね。
●あらゆる宗教は、「信ずる」ことから始まるはずです。「イワシの頭も信心から」と言います。ところが、一遍さんは、「信じなくてもいいじゃん」と言い出しました。ひょっとしたら、世界でいちばん過激で斬新な宗教家かもしれません。
●「念仏というものは、踊りだしたくなるほど、嬉しいものです」とも言っています。楽しい宗教。いまでも通用するようなコンセプトです。これが当時、たいへん受けたそうです。
●なお、念仏踊を始めた人は空也上人(くうやしょうにん)だそうです。平安時代中頃の人です。当時、庶民から隔絶したものとなっていた仏教を取り戻すため、布教活動をして歩いた人だそうです。辻々で人を集め、説教をしたり、鉢を叩いてリズムをとり、念仏を唱えたり、踊ったりしたらしい。
●空也と一遍に共通するのは、生臭坊主でなく、拝金主義でなく、組織を持たず、ただ我が身を削って庶民に尽くした点です。現代にも必要ですね、こういう宗教家。
●なお、一遍の弟子たちは名前の下に「阿弥(あみ)」とつけたそうです。能の観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)も一遍と遠い関係があるらしい。幕末の歌舞伎作者、河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)先生もそうなのかな。
◆参考:HP「空也上人」
http://www4.ocn.ne.jp/~mibu/mibu/kuya.html
◇HP「一遍 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%81%8D
◇書籍「神仏と日本人」初版38~39頁、桜井正信原案、ムロタニツネ象作画、さ・え・ら書房

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この記事へのコメント

ミーヤ
2006年08月24日 16:37
でも、念仏というのは「死んだら極楽にいける」という教えですよね?鎌倉時代というと正嘉の大地震や、飢饉、疫病であたりは死体の山だらけです。そんな世が苦しくて当時流行していた念仏のいう「西方浄土」を目指して、死んで極楽に行こうという人がどんどん自ら命を断ちましたよね?念仏の罪は大変大きいと思います。本当に民衆のためを思う宗教家というならば、今、どうしたら幸せになれるかを説き広めるべきでしょう。死んでからどうだなんて無責任です。第一、念仏は権力者にすり寄りその布施でもって甘い汁を吸っていたのではないですか?
ミーヤ様<素町人
2006年08月27日 13:53
コメントをありがとうございます。

…「念仏のいう「西方浄土」を目指して、死んで極楽に行こうという人がどんどん自ら命を断ちましたよね?」
 これは知りませんでした。具体的に記された記録があるなら、ご教示頂ければ幸いです。 m(_ _)m

…「本当に民衆のためを思う宗教家というならば、今、どうしたら幸せになれるかを説き広めるべきでしょう。死んでからどうだなんて無責任です。」
 これはちょっと意味がわかりません。「今、どうしたら幸せになれるかを説く」というのは具体的にはどういうことでしょうか。実際にそれを実践した宗教家の例をご存じなら、ご教示いただければ幸いです。
 m(_ _)m

空也も一遍も、心の安らぎ、慰めを与えてくれたのではないかと推定しています。念仏踊りの時間だけでも、うき世の憂さを忘れさせてくれれば、それは大きな功績だと思いますが。平安時代や鎌倉、室町のころ、高野山や比叡山の奥に住んだ宗教家たちは、庶民のために何をしてくれたのでしょうか。
【続く↓】
ミーヤ様<素町人
2006年08月27日 13:54
【続き↓】
…「第一、念仏は権力者にすり寄りその布施でもって甘い汁を吸っていたのではないですか?
 町人が参考にした書籍やHPには、その逆のことが書かれていました。Wikipediaを信ずるとすれば、一遍の死因は栄養失調と推定されているようです。
 歴史上の人物の評価は難しい。確たる資料の少ない昔の場合は困ります。とくに宗教家ですから、毀誉褒貶の幅は大変広くなるでしょう。どれがホントの姿かは、神のみぞ知るなのかも。 
(^^;)

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