秋田県の昔の呼び名はなんでしょうか?

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問題:●昔の国の呼び方です。薩摩は鹿児島、肥後は熊本ですね。では、現在の秋田はなんと呼ばれていたでしょうか?
□出羽の国
□羽後の国
□蝦夷の国
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)





























正解:「出羽の国」あるいは「羽後の国」
説明:●江戸時代の「出羽の国」はとても広かったようです。現在の山形県、秋田県のほぼ全域を覆っていたらしい。
●明治元年に分割されます。羽前、羽後の国のふたつです。明治4年(1871)に廃藩置県が実施されます。最初は302県もあったそうです。江戸時代の藩がそのまま県に名前を変えただけらしい。天領と言われた徳川家の領地は、明治政府の直轄になったとのこと。
●県は統廃合と名称変更を繰り返します。明治9年に、羽後の国にあった諸藩が統合されて秋田県、羽前の国は山形県になりました。
●つまり秋田県は、江戸時代は出羽の国、明治になってからごく短い期間は羽後の国(羽後県?)だったことになりますね。なお、藩としては、幕末には久保田藩とか亀田藩、本荘藩など6つぐらいがあったそうです。
●蝦夷(えぞ・えみし)の国という呼び方をするのはご承知のとおり北海道です。ただ、蝦夷は、古くは東北地方中部まで勢力範囲だったらしい。金田一京助氏は、「白河の関以北には、アイヌ語由来の地名が見られる」と言っているそうです。
●なお、関東の地名にすらアイヌ語が残されていると主張する人もいるようです。「~ナイ」という語尾の地名が多いそうで、漢字では語尾に「内」という字がつくらしい。ひょっとしたら、横浜の「関内(かんない)」もそうなのかな。まさかね。
◆参考:HP「出羽国 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E7%BE%BD
◇HP「廃藩置県 – Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E8%97%A9%E7%BD%AE%E7%9C%8C
◇HP「0から始めるアイヌ語入門」
http://ramat.ram.ne.jp/ainu/outline/area_j.htm
◇辞書「日本国語大辞典」小学館

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この記事へのコメント

2006年04月22日 00:45
昔は力士のしこ名に出身地の古名が使われてましたね。
安芸ノ島とか、薩摩富士とか(あれ?違うかな?笑)。
出羽の海は出羽一門?もとは秋田出身かな?
今は琴欧州、黒海とか、インターナショナル。
dashi様<素町人
2006年04月22日 08:06
いつもコメントをありがとうございます。
 確かに、力士の名前と酒の銘柄は似ていますよね。混同しそうです。(^^;)
 力士はもともと大名家などに抱えらていたとのこと。出羽藩(幕末は水野家)に抱えられていた力士が「出羽~」と名乗っていたのかもしれません。
 ついでに岡本綺堂氏の説を紹介すると、力士の管理は参勤交代のときに江戸に残される家老の役目とのこと。力士の対決は藩同士の対決であり、家老の勤務評定に響くそうです。
 そこから八百長が多く生まれたとのこと。引き分けが不自然に多い(昔の横綱の成績記録を見ると引き分けが妙に多い)のも、同じ理由だそうです。
sadakun_d
2016年08月03日 13:38
804年(延暦23年)蝦夷の反乱が激しくなり///その蝦夷(えみし)はアイヌも含むかどうかですが。

知人が秋田県岩手県(北部)二戸市(にのへ)

ずばり‘わが家系はアイヌ族‘です。親戚が集まります(二戸)と‘外国にきたんじゃあいか‘

・・・打田内(うったない)・・・アイヌ語
sadakun_d様<素町人
2016年08月03日 21:24
コメントをありがとうございます。

 わが家のずっと昔は製鉄業とか鍛冶屋だったらしい。そうした技術をもって大陸から渡ってきた可能性があると聞きます。縄文のころか弥生時代なのかはわからないのですが。
(^^;)

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