雪の桜田門でテロに散った井伊直弼は、何番目の息子だった?

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問題:●桜田門外の変で、水戸藩士らに斬殺された井伊直弼(なおすけ)は、彦根藩第11代藩主井伊直中(なおなか)の息子として生まれました。第何子だったでしょうか?
□8男
□11男
□14男
(答えはずっと下↓ スクロールして下さい)




























正解:14男
説明:●文化12年(1815)に生まれました。それにしても14男はちょっと凄い。確率的には、女の子も約半分は生まれます。子供は20人以上いたのかな。しかも井伊直弼にもまだ弟がいるとのこと。こんな家族ばかりだったら、少子化問題はたちどころに解決ですね。昔のお大名は、みんなこうなんでしょうかねぇ。
●井伊直中氏は、文化9年(1812)に隠居しています。当時、46歳ぐらいでしょうか。昔の方は、引退が早い。
●計算上、井伊直弼氏は、隠居後にもうけられた子供ということになります。直中氏は、なんかハッピー・リタイアメントのようです。いいなあ。あまりに単純な駄洒落で失礼しました。
●井伊直弼氏は、ご存知のとおり、安政7年(1860)、桜田門外の変で殺されます。テロですね。享年46歳。父親の引退と同じぐらいの年齢でした。3月3日の早朝といいます。雪のちらつくなか、水戸藩士17名と薩摩藩士1名により斬殺されます。
●水戸藩士らはいわば反米武装組織ですね。開国派の井伊直弼が気に入らなかったようです。警護していたシークレット・サービスも応戦して、互いにずいぶん死傷者が出ている模様です。
●話は突然、反米に変わります。町人がよく知る人にも反米の人がいます。でも、1000年後に滅ぼしてやればいいぐらいののんびりした反米です。
●反米のあかしとして、浦安のディズニーランド、大阪のUSJには行きません。バーボンも飲みません。具体的な行動はそのぐらいらしい。米国産牛肉も食べないのかな。これは意味が違うか。
●脱線しました。江戸時代に戻りましょう。毛利家では、毎年正月に「徳川幕府はまだ滅びぬか」、「残念ながらまだでございます」という問答を二百数十年繰り返したと聞きます。とうとう最後には長州が勝つわけです。この気の長さと根気強さには見習うべきものがあります。大きな物を動かすには時間がかかります。イスラム過激派の方々にも「のんびり反米」をお勧めしたいですね。
◆参考:HP「井伊直弼 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E5%BC%BC
◇HP「井伊直中 - Wikipedia」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E4%B8%AD

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この記事へのコメント

2006年05月10日 14:27
意味がわからない^^
うんち様<素町人
2006年05月10日 22:21
コメントをありがとうございます。
「意味がわからない」とのこと。
 無理のないことです。なんせ無意味な記事ですから。
 あまり、マジメに読むと混乱される可能性があります。
 どうか「読み流す」という姿勢を大切にして下さい。(^^;)

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